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『残りの雪』  立原正秋

<坂西が海棠の狂い花を眺めていたとき、山門の方で白いものがひるがえった。里子だった。おや、今日は白っぽい着物をきている、と坂西がみていたら、里子は左足をちょっとひねるようにしてあげて山門のなかに踏みいれ、つづいて右足をやはりひねるようにあげ、なかに入ってきた。山門の敷居が高いからであった。褐色にくすんで行く十月の風景のなかで、水を点じたように白い着物があざやかだった。>

 

学生時代に立原正秋の作品に出会ってから、ひととき私はかなりカブレていました。

彼の作品に出てくる女性のほとんどが着物を着ていて、当時、着物の「き」の字も知らなかった私でしたが、自分をその着物の女性に置き換えて、所作などをよくイメージしていました。

このシーンは、なんともないような些細なものですが、そんな私の心の中にその所作の色っぽさが強く残ったものでした。

そして「大人の男性というのは、こういうところを見ているものなのだな」とも学んだのでした。

2017年08月31日

『彩の女』  平岩弓枝

<気がついて章一郎は近づいて、佳奈の帯締めをほどいた。続いて、帯あげの結びめを解く。女の和服には馴れていた。(中略)着物も帯も、年齢より地味でひかえめな佳奈が、みえないところには、存分に華やかな色彩を使っているのが、はじめてわかった。日本舞踊を習っているような娘でも、紐や伊達締めなどは随分、くたびれたものを平気で用いているのが案外、多いものだが、佳奈のそれは、今日、おろしたてのように真新しく、手ずれしていない。身だしなみのいい娘であったことが、章一郎を満足させていた。そうではないかと、ひそかに想像していたことが、事実であった悦びである。>

 

なんとも意味深なシーンですが。ちなみにこの二人には残念ながら(?)この後特別なことは起こりません。事情で前後不覚になった佳奈を、ひそかに佳奈に対して恋愛感情を抱いている章一郎が介抱しているという状況です。

子どもの頃から母によく「外出するときにはきちんとした下着を着けていきなさい。どこで何があるかわからないから。事故にでもあって病院に運ばれた時でもみっともなくないように。」と言われていました。このシーンを読んだとき、母のその言葉を思い出しました。

せっかく母に躾けてもらったにもかかわらず、私は気を抜いてしまうことがあります。

着物に着替えている時、手ずれのした紐を使っている自分が鏡に映ると、このシーンが頭に浮かびます。

前後不覚になり異性に介抱される……などということはもう起きないと思いますが、救急車で運ばれる可能性は大です。

いや、それ以前に自身のために身だしなみの良い自分でありたいと思います。

 

 

2017年09月01日

『雨柳堂夢咄 宵待ちの客』  波津彬子

<「これはある華族のお嬢様の晴着だった物だ 三つ襲で仕立てた上等の友禅だけど これは君の着物だね?」

(中略)

「竜衛がむかえに来てくれたら 家を出る時これだけは持って行こうと決めていたの お嫁にしてもらう時にこれを着るのよ ずっとそう思っていたの」>

 

波津彬子さんの漫画は、絵の線が繊細で美しく、またストーリーもしっとりとした展開で、お気に入りの作品が多いのですが、この雨柳堂夢咄シリーズは私の永久保存版です。

時代は明治の初め。骨董屋の雨柳堂の孫である蓮くんは、物の気を感じることができます。様々な物に憑いている、かつての持ち主が作り出した思いを読み取れるのです。

上記のシーンは雨柳堂にある着物が持ち込まれたことから生じます。華族の令嬢と使用人である竜衛の身分違いの恋。無理やり別れさせられたお嬢様は、悲観して身投げをしてしまうのです。それから10年だか20年だか経って、その着物が売りに出され雨柳堂の店頭に飾られると、成仏できていなかったお嬢様の霊が着物に引き寄せられるようにお店にやってきて、蓮くんと会話を交わすのです。

結婚する時のための衣装。現代でもそこに深い思いを込める女性は多いと思います。たとえ当日しか着ないレンタル品であっても。

それが日頃からお気に入りにしていた晴着ならばなおさら。

雨柳堂夢咄シリーズには、着物に込められた思いに関わるシーンがたくさん出てきます。

着物1枚1枚に、私たちは様々な思いを乗せているものです。もちろん思い入れのある洋服もありますが、なぜか着物の方が思いが深いような。

着物そのものへの思いだけでなく、その着物で出かけた場所や一緒に行った人などもよく記憶していたりします。

そんな思いや思い出が、着物にどんどんどんどん重なって……。

 

 

2017年09月03日

『蜜と毒』  瀬戸内晴美

<通夜の時の千尋の着物が弔問者の女たちの目をみはらせた。銀鼠色の色喪服の上前の裾に銀糸で蓮の刺繍がしてあり、歩く時、ちらっとひるがえる下前には、観音が蓮上に立っていた。それも銀糸のしっとりとした精巧この上ない刺繍であった。(中略)葬式の日は、千尋は白鷺のような純白の喪服を身につけていた。水晶の数珠の紫の房だけがただひとつの彩りだった。通夜の時も葬式の日も、千尋は一滴の涙もこぼさなかった。>

 

京都の老舗菓子屋のぼんぼんで、女たらしの放蕩三昧の夫は、若くして心臓発作のため急死します。放蕩の全てを知っていた妻である千尋の装いが非常に恐ろしくて印象深いシーンです。

人の死はいつ来るかわからないものですから、喪服はあらかじめ準備しておくのは当然なのですが、この千尋の装いは、妻という立場でしか身につけることがないもののように思えます。

全てを知り、それを胸の内に秘め、もしかしたらその喪服を着る日を心待ちにしていたのかもしれない……と考えると、千尋の、憎しみなどという一言では片付けられない心情が思いやられ、それが着物だからか私は余計にぞっとしてしまうのでした。

 

2017年09月09日